お互いに自分の好きな時間を持つ
夫婦で何でも一緒にやっていた時期もあるのですが、主人がたばこをやめて資格試験にトライしている期間が長く、段々共有時間が減りました。
今は資格よりもスキルの方を重視してまた距離が近づいた気がします。
同じ空間にいても、好きな事をやっているのが心地よく、何かあれば助け合う気持ちは忘れていなければ良いかなと思います。
好きな事をした後はお茶して体験した事を共有し合うスタイルが定番になりました。
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募集開始
2021.12.14 ~募集終了
~ 2022.01.15結果発表
~ 2022.02夫婦で何でも一緒にやっていた時期もあるのですが、主人がたばこをやめて資格試験にトライしている期間が長く、段々共有時間が減りました。
今は資格よりもスキルの方を重視してまた距離が近づいた気がします。
同じ空間にいても、好きな事をやっているのが心地よく、何かあれば助け合う気持ちは忘れていなければ良いかなと思います。
好きな事をした後はお茶して体験した事を共有し合うスタイルが定番になりました。
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家族と言えども相手は違う人間。
大抵違う考え方を持っていることを忘れないでいること、折に触れ互いの考え方を口にすることで、段々と適切な距離は形成されていくと思います。
工夫は特にないなあ。
ちなみに中年となった自分の親世代は、子供が心配だったり自分が不安だったりで、ある程度は干渉して欲しい人が多いと感じます。電話で数ヶ月おきに話すのが本当は良いのだろうなあ…とは思うけど話す内容が浮かばない~。
家族は大切で、かけがえのない存在です。でも、一緒に居る時間が長いと窮屈に感じます。望んで子供を授かったのに、子育てがしんどい時が正直ありました。辛かった出来事もあって、とにかく、一人でゆっくり休みたかったです。自由な時間って人間にとって必要不可欠なのだなとつくづく実感しました。つかず離れずが丁度いいです。
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家族に限らず、人との付き合いで無理に気を利かすことをやめました。
かえって、友人も家族も含めて気軽に付き合えるようになりました。
他人が良いかなと思っても、自分が無理してるようでは本当の人付き合いとは言えませんね。
他人も自分も、軽く付き合えるようにしませんか?
「家族」は特別ではないです。
愛情が特別であるのはそうだけど、思いを託しちゃいけない。
「家族の為にやってるんです!」、は殆ど自分の為です。
「為」は必要とされているところに手を差し伸べること。
話を聴いてあげるとかユニフォームを洗濯してあげるとか…。
家族まで上司やコーチみたいになったら嫌んなっちゃうよ。
家時間が増えた今こそ、過ぎた一体感を捨てて「離別感こそが愛」と気付きたいです。
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